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- 2014.05.02 Friday
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12歳のアビバの願望は母親になって子どもに絶対的な愛を与えること。
しかし、その願望をかなえようとしたのに母親からむりやり中絶させられてしまう。普通の映画なら中絶させられようとしたところで一騒動起こりそうなもんですが、ここでアビバはそれを受け入れる。それは彼女がまだ子どもで意志も行動力も弱い存在なわけですが・・。
アビバが家出をして偶然たどり着いた施設は障害のある子どもをわが子のように育てるママ・サンシャインがいた 。信仰厚く愛情深く育てられている子どもたちにとっての薬園のように思える場所。
ママ・サンシャインがアビバに言った「この世は邪悪で残酷なものだけど、あなたは無垢そのもの」という言葉。(「無垢」とという言葉の意味は○欲望・執着などの煩悩(ぼんのう)がなく、清浄なこと。 心身が汚れていないこと。うぶで世間ずれしていないこと。また、そのさま。をいうらしい)邪悪で残酷な世界で「無垢」という存在そのものを表したアビバはある事件により「本気で心から良い母親になりたい」となぜかウソくさく聞こえる言葉を言っている母親の元に帰ることになる。
この映画の原題「Palindromes」は前から読んでも後ろから読んでも同じ語句(例noon,radar)です。幼児にイタズラした青年に言わせたように「自分は自分でしかありえない。」のなら社会的に禁断とされる愛の形もそれを行う本人たちには変えることのできない運命的なことであって、どんな形であれ本当の「愛」が存在するなら愛の形態はほんの付属品であり取るに足らぬこと。「愛」が存在することに変わりがない・・と言いたいのかなあ〜?
何か違うな・・。
アビバは母親になって子どもに「絶対的な愛を与える」という行為が願望。一方アビバの母親は「良い母親になる」という願望を持つ。「行為」を目的とするか「形」を目的とするか?が違うんですね?
サンシャイン・ハウスの父親は「堕胎医師の撲滅」を願望し、起訴されるが、ママ・サンシャインは「子ども達を愛する」ことを願望する。
「形」ではないのだ、「本質そのもの」が大事なのだ と言いたいんだろうか?
この映画に出てくる人々は一般的に言う「善者」として描かれていません。たぶんアビバでさえ。
見る人はあいまいで宙ぶらりんな立ち位置に立たされ、それぞれの持つ価値観で見ることになる。いろいろな場面の切り口があるのでたくさんの解釈をさがすこととなるのでしょう。結局はこれが監督さんのねらいで、答えをさがす過程に重点を置いているのかもしれません。やっぱ、くせ者だわ。この人。
ティモシー・オリファント関係で観ました。たぶんTVで何度も観てますが・・ストーリー覚えてなけりゃ観てないも同じですからね。
製作年:2000年
監督:ドミニク・セナ
出演:ニコラス・ケイジ他
高級自動車専門の窃盗をしていたメンフィス(ニコラス・ケイジ)は今では足を洗って子供相手にカートレース場を経営。そこへ昔の仲間がやってきてメンフィスの弟キップ(ジョヴァンニ・リビージ)の命が危ないと告げ...
(アンジー以外)男だらけの車泥棒たちの友情とか、兄弟愛とか、義理とか、男気とか の話。車好きにはよいかも。
ニコラス・ケイジは今よりまだ髪があるがもうかなりキテます。
ティモシー・オリファントは若手の刑事役。なかなか気の利く相棒ぶり。チンピラ相手にジョーク言ったり、脅したりしながら情報を引き出すところなどかなり雰囲気出してます。